五右衛門風呂の名前の由来は、豊臣秀吉が石川五右衛門をかまゆでの刑にしたという俗説から生まれました。五右衛門風呂とはカマドを築いて釜をのせ、その上に桶を取り付け、底板を浮き蓋とし、その板を踏み沈めて入浴します。五右衛門風呂は底が鉄製であるのに対して、長州風呂は全体が鉄製であります。現在では長州風呂を五右衛門風呂として一般的に呼ばれています。
五右衛門風呂 |
長州風呂 |
五右衛門風呂(長州風呂)は、鋳物(鉄)で出来た浴槽です。なぜサビて使えなくならないか?それは、使用しているうちに徐々に浴槽の表面に皮膜(酸化皮膜)を作り、この皮膜が鉄と酸素の結合(酸化)を防ぐことにより、サビを防ぎます。
五右衛門風呂(長州風呂)に限らず鉄で出来た製品は、壊れても再び炉で溶かされ、再び私たちの生活の役に立つ製品に生まれ変わります。また、お湯を沸かすのに、使わなくなった紙・木などを燃料とするので、資源を有効活用しています。
冬場、給湯タイプの風呂だと、給湯せずに長く入っていると、だんだん湯が冷え、体が冷えるため、風呂から出にくいことを感じた事はありませんか。五右衛門風呂は薪の残り火や風呂自体の余熱で、お湯が冷めにくく、また、お風呂の湯自体が循環(対流。風呂底で温まった湯が軽くなり上に行き、水面の冷めた湯は重くなり底に沈む。)してるため、常に温かい湯が体に当たり、体が温かいまま風呂から出られます。ここが魅力のポイントだと思います。
五右衛門風呂に入ったことはありますか。五右衛門風呂は足を丸めて窮屈だと感じませんか。当時は今の時代とは違い、大きな鉄鋼炉で鉄を大量に安く作ることができませんでした。そこで、最小限の大きさに作られました。第二に、お風呂を大きくするとそれだけ水が入ります。当時は、水道がないので、井戸から水をくみ上げ、運んで風呂に入れました。大変な作業のため、なるべく五右衛門風呂は小さいほうが良かったのです。第三に、江戸時代の男性は155~158cm・女性は143~146cmぐらいで、今の日本人より、だいぶ小さかったのです。だから、五右衛門風呂は、現代人にとっては窮屈なものになります。